第79回 投資で自分の資産を大きく増やした経験のない人は


投資で自分の資産を大きく増やした経験のない人は、たとえ頭では「投資」の重要性や、その儲かる理屈がなんとなく理解できていたとしても、感情が追いつかない人がどうも多いようです。だから「投資」というものをついつい「怖いもの」「胡散臭いもの」のように、いつまでもいつまでも見続けがちです。

でも彼ら彼女らも、きっと目覚めます。私たちは希望を持ってこのような人達の教育・啓発の努力を(焦らず、諦めず)続けなければいけません。

でも中にはまれに厄介な人達がいるのも事実です。それは、投資は「胡散臭い」と信じている人々というよりも、むしろ、投資は「胡散臭いものであってほしい」という(悲鳴のような)願望を持つ人々です。

そのような人々の問題は、単なる「投資に対する無理解」というようなレベルとはまた異なるところにあります。決して知識とか理解とかが(必ずしも)足りてないのではない。つまり「理性的な問題」ではないというのが彼らの実にやっかいなポイントです。そうではなく、もっともっと深く暗い「黒い感情」を伴った何かです。

彼らは成功している投資家がねたましいのです。早い話が嫉妬です。彼らは彼ら自身が所有する銀行預金を(現実に)大きく投資してみる度胸も決断力も無いくせに、成功している投資家に対しては「運が良かっただけだ」「楽して儲けやがって」「大きな資金を株式に投資するなんて危ない」「運よく増えただけだから、株などとっとと売り払って早く現金化しないと大やけどするぞ!」などと半ば本気で思っていたりします。

そして、彼らはそのような主張が「常識的であり正論である」と本気で信じて(あるいは信じたい?)います。たとえ投資のロジックを理屈では理解できたとしても「投資で資金を増やすなど邪道だ」みたいな反資本主義な信念に凝り固まっている可能性すらあります。彼らは自身のことを常識的で理性的だと(たぶん)自己評価しているでしょう。が、とんでもない。彼らは嫉妬心にまみれています。そして、その嫉妬の心で視界が歪み、かすみ、誇張、改変され、本当の「ありのままの世界」が全く見えない状態になっています。(あるいは見るのが怖い?)

彼らは本質的に臆病者です。真正面からの議論は避けます。それは冷静な議論による論理性や合理性では勝てないことを知っているからです。彼らは、自らの本心や自らの考えが理性の光に照らし出されるのを恐れます。

もし、このような人々と出会ってしまったなら、その時は(可能なら)距離を取って関わらないようにするのが一番良いと思います。もし関わらざるを得ないなら、彼らと少なくとも「投資」については一切議論しないことです。間違っても彼らを説得しようとしてはいけません。それはあなたを傷つけ、疲れさせるだけです。そりゃあ、もしかしたら彼らだっていつの日か変われる(投資に目覚められる)日は来るのかも知れません。しかし、今はその時ではないのです。あなたの説明や説得によって彼らを変えることは出来ないし、そもそも変えようとしてはいけません。

(文: UEDA / 挿絵:αβγ)


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